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金環日食はハワイでは部分日食でした。

今月21日午前7時20分から40分位の間に金環日食見た方多かったんではないですか?

私も実は自宅ベランダから見ておりました。勿論日食観察プレートを通して!

今回金環日食が見られた国は日本、中国、アメリカ、カナダ、だけだったようです。

残念ながら、ハワイでは部分日食(一部欠け)だったんですね。

ちなみにハワイでの部分日食の見られた時間帯は午後2時~4時くらい。

日本では午前7時20分~40分でしたよね。時差の差とは違うんですかねぇ不思議!

東京で見られたのはなんと173年ぶりらしいです。

過去の日本での金環日食が見られた歴史調べて見たところ

日本列島で観測された金環日食は、1987年9月23日に沖縄地方で見られてから25年
本州で観測された金環日食は、1883年10月31日に東北地方で見られてから129年
東京で前回見られたのは、1839年9月8日で173年前。

日本列島の本州太平洋側、四国の大半、九州中南部を縦断する形で数多くの地域で見られるのは、1080年 ( 平安時代 ) 12月14日に見られた金環日食以来、約932年振りということになります。

東京では173年ぶりなんですね。祖先のだれか見たんでしょうかねぇ。

ちなみに173年前は1839年。

その頃の出来事調べて見ました。

蛮社の獄(ばんしゃのごく)は、1839年(天保10年)5月に起きた言論弾圧事件。
天保年間には江戸で蘭学が隆盛し新知識の研究と交換をする機運が高まり、医療をもっぱらとする蘭方医とは別個に、一つの潮流をなしていた。渡辺崋山はそのリーダー格であり、高野長英・小関三英は崋山への知識提供者であった。この潮流は旧来の国学者たちからは蔑みをこめて「蛮社」(南蛮のグループ)と呼ばれた。後に蛮社の獄において弾圧の首謀者となる鳥居耀蔵は、幕府の文教部門を代々司る林家の出身であった。
幕府は儒学の中でも朱子学のみを正統の学問とし他の学説を排除したが、林家はその官学主義の象徴とも言える存在であった。儒学でさえ朱子学以外は認めず、文教の頂点と体制の番人をもって任ずる林一門にとり、蘭学は憎悪の対象以外の何物でもなく、また、後述するように、林家の門人でありながら蘭学にかぶれさらに多数の儒者を蘭学に引き込む崋山に対しても同様の感情が生まれていた。
なお、崋山の友人である紀州藩儒・遠藤勝助は、救荒作物や海防について知識交換などを目的としたサークル「尚歯会」を創設したが、崋山・長英・三英はこのサークルの常連であったために「蛮社=尚歯会」「蛮社の獄=尚歯会への弾圧」というイメージが後世生まれた。しかし陥れの対象として狙われた者のうち、崋山と並んで最重要人物であった江川英龍はこの会の常連ではなく、また長英とは面識がなかった。さらに会の主宰であった遠藤勝助は鳥居耀蔵の告発状の中に最初から名があがっておらず、弾圧を免れている。


本当??この時代?

見てないわ~


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